30 something の人生観

  目次

  1. 30 something
  2. 「30」という節目について
  3. 一般的な30 somethingの印象
  4. 年齢に関する話での失敗談
  5. 基本スタンス
  6. コントロール
  7. 結論

30 something

*30 something とは、和製英語である「around30」通称「アラサー」の英名

先日、2023年1月2日、28歳になった椿です。

30 somethingに本格的に突入したということで、今年から”挑戦”と”回顧かいこ”*¹をテーマに日々思うことを書き綴ります。

なんて、30 something がどうのとは言っているのですが、特段、この年齢になったから始めようと思ったわけではなく、ただタイミングがここであっただけです。そして、これはネガティブな30 something の意味ではなく、大人の女性への更なる成長を目指すものです。

自分がまさか28歳だなんて、年齢だけ聞けば大層な大人だとは到底思えないんですよね。

何しろ、自己認識は中学2年生くらいから変わっていなくて。笑

とは言っても、その頃から精神年齢が30代だと周囲に言われていたので、私が大人になっているのか、実年齢が私に追い付いてきたというべきなのかは謎ですが。笑

さておき。

*¹ 昔の事を思うこと。過去を顧みること。(出典:広辞苑)

「30」という節目について

30 somethingという年齢に、あなたはどんな印象や意味があるでしょうか。

思うに、とりわけ女性にはネガティブな印象が強めかなと感じます。

・もう若くない ・30のおばさん ・(良くない意味で)アラサー etc…

ですが、私は正直に、強がりでもなんでもなく、30を超えてからが本当に素敵な大人の女性になっていくのだろうと思っています。

たぶんに自己認識が中学2年生くらいから変わってないためかもしれないですが。笑

もちろん、20代でも十分に成熟した素敵な女性はたくさんいらっしゃると思うのですが、私的見解はやっぱり30を超えた女性かな、と。

なので、私はあと2年後、30を超える時の自分にとてもドキドキワクワクしています。

しかし、私自身がそんな印象と思考のせいで、失敗したことも多々あり…

一般的な30 somethingの印象

とくに30 somethingについての女性の印象です。

まず、30 something女性自身の印象です。

28歳という年齢を迎えた私自身、もう数年で30歳だなあという感慨はあるものの、だからとて、やばいどうしようとか、もうおばさんだ嫌だ、なんて思考は微塵もありません。

それは確かに、まだ30歳ではなく、2年という月日が私には残されているから、という理由があるだろうことは否めません。

ですが、結局は何歳だろうが、その人自身の考え方次第だと思うのです。

24歳だろうが、26歳だろうが、もう後がない30歳前だと焦りや不安を感じる方は感じるだろうし、30歳になろうが、31、32、33、何歳になったって年齢がなんぼのものよと、どんと構えておられる方もいるでしょう。

そんなわけで、年齢がどうとさほど気にしない派の私からすれば、年齢を聞くのは女性には失礼だと思うこと、年齢を高く見積もられてショックや怒りが湧くということもないです。

しかし、そのスタンスで年齢の話になった時、私より一つ上の知り合ったばかりのお姉さんを傷付け泣かせてしまった経験があります。

年齢に関する話での失敗談

正確な脈絡を言えば、多大な誤解ゆえのお姉さんの涙だったのですが、周囲の話では、お姉さんは30歳を目前に控え、相当に悩んでおられたのだとか。

何に悩んでおられたのかといえば、仕事、将来のパートナー、もう若くないのだという容姿への劣等感、など様々だったようですが、とにかく自身の年齢についてとても気にしていたがゆえ、お酒の席でもあったことも相俟あいまって気が緩んでいたこともあり、私の発言で傷付け涙まで零させてしまいました。

これは私の反省で、本当に年齢の話は良くないのだろうと痛感した経験なのですが、同時に私には理解し難いことだと改めて思う経験にもなりました。

詰まるところ、これは年齢の話に限らない私の基本スタンスの問題ですが。

基本スタンス

私の基本スタンスは、おそらく強烈めな方かと思います。

とりあえず、周囲は関係ないのです。

とくにネガティブなものに関していえばなおさらです。

ポジティブな意見については、都合よくよしよしと自分のものにします。笑

広く浅く、シンプルに、自分は自分、周囲は周囲、それぞれ。

皆それぞれ。

それは良し悪しといったことも抜きにして、です。

良いも悪いも、全部全部、全て含めて自分なのだから、一旦それはそれとして、それが自分なのだと受け入れてあげて、それでいて一旦認めてあげるのです。

もし、そう考えてなお、現状の自分を受け入れられない、認められないというのであれば、それは自分にはまだ可能性があって、その可能性のために自分自身に余力を残している状態なのだと思うのです。

まだ、自分自身に出来る努力を全てしていないということだと思うのです。

であれば、周囲がどうということではなく、まずもって一心不乱にまだ自分に出来ていない努力を全てやりきってみることです。自分がこれ以上は無理だ、これ以上自分にもう出来ることはないと、その域にまで到達すれば、自然と自身の劣等感や周囲の目、自身より恵まれている人や豊かな人への妬みや憎み、引け目のようなものはなくなると思うのです。

だって、もう、それが自分の限界なのですから。

人と人というのは、悲しいほどに平等ではありません。

自身より優れた人恵まれた人、豊かな人という存在は必ずあって、自身では到底辿り着けない領域というのは絶対にあるのです。

ですが、それはあくまで自分を誰かや何かと比べるからそれを感じるのであり、自分は自分なのだと完結出来れば、そういった絶望や苦悩はないのです。

話を少し戻します。

誰かや何かへの憧れや自身への可能性のため、自分に出来る努力を全てやりきり、それでも叶わなければ、大半の場合は清々しく諦められたり、良い意味で開き直れたりするものです。

少なくとも、私はそうです。

もちろん、悔しさ、相変わらずの憧れや願望は残ります。

ですが、それは本当に清々しい感情なのです。

そりゃあ今だって、そうと思う気持ちは変わっていないのに、でももう全部やりきっちゃったから、意外とそうも思えるのです。

100%諦められなかったり、完全に開き直れなかったりしても、すべてやりきった自分にはもう可能性がないことを理解しているため、執拗にそれについて思うこともなくなるはずですし(考えても仕方ないですから)、むしろ完全燃焼した自身を誇りにすら思えたりするものです。

これも、少なくとも私はそうです。

全てやりきり、もう出来ることがない場合は、もはや比べても仕方がないのですから、それならばと、いっそのこと今の自分をまるっと受け入れてあげて、認めてあげるしかないでしょう。

そうです、現実ですから、結局は現状をどれだけより良く自身へ享受きょうじゅ*²させられるか、そこに尽きるのです。

そもそも、人間という欲深い生き物は、たくさんのものを手に入れたとしても、もっともっとと求めるのですから、どの立場、どんな人間であれ、現実現状の自分を受け入れることはしなければならないのです。

*²受けおさめて自分のものにすること。精神的に優れたものや物質上の利益などを、受け入れ味わいたのしむこと。(出典:広辞苑)

コントロール

それに、です。

自分よりも恵まれている、優れている、そう思える人たちにも羨む人、手の届かないと思う人、というのは必ずいるのです。

つまり、本質的なことをいえば、誰も誰もが同じことなのです。

自分を誰かや何かと比べずにはおられない人というのは、どこまでいっても誰かや何かと自分を比べるでしょう。

なので、あなたはそれでいいのか、と驚くくらいに不遇や絶望らしい境遇にいても、気にしない人は気にしない、周りがどれだけ恵まれていたって、うんだから何、と思う人は結局どの立場や環境にいても同じ思考なのです。

「自分だけではどうにもなれない人」

自身より不遇の人がいるから、自分に安心感を覚えられる。

これは時と場合により、有用な思考方法だと思います。

あくまで、応急処置的な意味において、ですが。

しかし。

自身より劣っている人がいるから、自分に価値を感じられる。

この考え方、感覚には、私は疑問を感じます。

よく考えて欲しいです。

自分より劣っている人がいるから、自分に価値が感じられるということは、つまり、その自分より劣っている人がいて初めて自分に価値が生じるということです。

要するに、その劣っている人がいなければ自分は無価値ということ。

自分に価値を見出すために、その自分より劣っている人が必要不可欠、そういう価値のある存在ということ。つまり、その劣っている人自身はその存在だけで価値があるということです。

自分はその人がいなければ無価値だというのに、です。

これはひどい矛盾じゃないでしょうか。

結局それというのは、価値があるのは自分ではなく、自分より劣っているその人ということにはならないでしょうか。

よく引き立て役だなんだと耳にしますが、良い意味でのものはさておき、引き立て役を欲する時点で、その人の価値は引き立て役がいなければ成立しない、際立たない程度のものということなのです。

悲しいじゃありませんか。

それこそ、悔しいじゃありませんか。

だったら、実際がどうかは一旦置いておいて、私は私であるだけで十分だ、と考えてみませんか。他の子がどうであれ私は私で素敵、そうと思ってみませんか。

私は完璧じゃないし、物足りないところもたくさんあるけれど。

でも、私は私で良いと思うの

そう、口にしてみませんか。

誰かにはっきりと、あっけらかんに言ってみませんか。

私は私で良いと思うの

人に言う勇気がなければ、まず自分自身に向けて口にしてみてください。

物足りないところは、どうしても欲しいなら、これから頑張ればいいだけ。

どんなに頑張っても完璧には出来ないと思うのなら、もちろん頑張りつつ、でも完璧じゃない私もお茶目で可愛いじゃないって。

そうやって、自分に優しく微笑んであげてみてください。

それでも、人と比べることをやめられないなら、また考えてみましょう。

人に歴史あり。

どんなに能天気そうに見える人、完璧に見える人、誰にだって、それまで生きてきた時間があり、様々な経験があります。

そして、その後も生き続けるなら、さらに時間と経験は増え続けます。

そうなると、皆それぞれに、ありとあらゆる経験をするものです。

仮に、それが自分と似た経験で、自分にとっては取るに足らない経験であったとしても、経験している人物が違う時点で、感じること、学ぶこと、身になることというのは違うため、結局はその人のことを全て理解出来ることはありません。

そもそも、他人を全て知り得ることはできないのです。

そして、それを自分の物差しだけで評価判断するなどはもってのほか*¹。

皆が羨むその人にも壮絶な過去があるかもしれないし、血の滲むような努力があったのかもしれない。今もなお血反吐するような努力を独りでにしているのかもしれない。これからのまだ来ぬ未来に、ひどい経験をするかもしれない。

目に映る様子、人伝に聞く情報、どんなものであれ、結局は自分の経験と思考というフィルターを通過しなければあなたに入っていかないものです。

自分の周りにある全て、今も目に入っているこの文章すら、あなたのフィルター越しでしかあなたの中には入っていかず、周囲の全ての良し悪しや価値を決めるのはあなたの経験と思考、要するにあなた自身なのです。

一見、自分が周囲に振り回されているように感じたり、理不尽に思うことがあっても、それは結局、自分が自分でそう感じているだけで、自分が思っているにすぎないのです。

いいえ、全てが自分次第なのだと思うことが大切なのです。

よく考えれば、自分がそう被害妄想のように思っているだけじゃないか。

一度冷静になって、その物事について自分の状況を考えてみてください。

また、事実として、本当に周囲が自分を振り回していても、どう考えても理不尽であったとしても、じゃあどうしてそうなったか、そうなる前に自分に出来ることはなかったのか、リスクマネージメント*²が甘かったのではないか、やはり冷静になって考えるということをしてください。

その時、その場の状況と感情にのみ流されないこと。

順序立てて考えること。

その上で、自分に至らない点や出来たはずなのにしていなかったことがあれば、今後繰り返すことがないように反省が出来るので、現状は甘んじて堪えるしかないと思えるでしょう。そして、自分に非が一切なかったとすれば、次は周りに目を向けてみて、危険な人物や状況を今後の自分のために見分けられるようサンプリングするように、その状況を淡々と観察し、その事柄でこうむった負の財産(嫌な感情や経験)をかてに、今後二度遭うことがないように気を付けるきっかけになったと思うことです。

むしろ、良い経験をさせてもらったと皮肉に感謝するくらいに、です。

これも考え方です。

その経験をしたからこそ、その後の未来で被ったかもしれない経験や被害を回避できたかもしれない。あるいは、うまく対処するスキルが身に付いたと、理不尽すら自分を豊にしてくれたと自分のプラスだと考えることです。

このひどい経験をしたからこそ、大抵の人たちが挫折していくような事柄も、自分だけが対処し耐えることが出来て、結果として自分だけがその先の成功を掴むことが出来るかもしれない、とか。笑

話が脱線しました。

要するに、全て自分次第ということなのです。

人を羨むことも、憎むことも、経験と努力、考え方次第なのです。

自分と人とを比べることの愚かしさ。

当然、誰かに憧れるなど、自分をよりよく先導する活力にのみ、その感情を昇華しょうか*³出来るのであれば、それは大いに自分と人とを比べていいと思います。

しかし、結局、その場合というのは、その人自身に憧れてというよりは、その人の持っているもの(精神面、経済面、才能面、成功面、etc)、に憧れているのであり、その人がどうという話ではないと思うのです。

その人のような経済力、精神力、成功、それが羨ましい。

私もあの人が持っているようなものが欲しい。

憧れの対象はあくまで、その人自身ではなく、その人がもっているもの。

仮に、その人自身が羨ましいと思うのであれば、それは有無をいわさず諦めてください。あなたはその人ではないし、どんなに羨み努力したところで、あなたがその人と等しいようにはなれないのですから。似たようにはなれても、同じには決してなれない。同じになれたと錯覚し、しかし実際に違った時、あなたは理不尽にその人を憎むようになるかもしれない。

そんな愚かしいことはありません。

まずもって大前提として、その人が世界にただ一人であるように、あなたも世界にたった一人で、あなたもまた誰かに成り代わられることのない、唯一無二の存在なのだということを忘れないでください。

その人だけにしかないものがあるかもしれない。

でも、あなたにもまたあなたにだけしかないものもある。

あなたが気付いてないだけかもしれない。

周りも誰も気付いてないかもしれない。

いいえ、自分で自分にしかないものを見出すのです。

実際に物理的に動いて作り出すもいいですが、それは現実には難しいことの方が多いでしょう。

だから、考え方なのです。

人は皆が自分の色眼鏡と都合のいい錯覚の中で生きているのですから。

だからこそ、世界とはあなたがそう見たいと思えばどんなふうにも変わる。

本当ですよ。

例えば、いつも使っているマグカップ一つ、あなたが価値ある大切なものだと思えば、それは価値のあるものですが、別に取るに足らないものだと思っていれば、それはゴミと同等なのです。

実際には、物質として全く何も変わらない同じマグカップなのに、です。

ですから。

あなたの想い一つ、考え方一つ、それだけで世界は無限なのです。

人と比べ、人と比べてでなくても、自分に不満があるのなら、一旦は脇目も振らず一心不乱に周りではなく自分を変える努力をしてください。

バカみたいに、実際にバカになって、笑いが出るくらい努力してください。

もうこれ以上は無理だよ、全力出しきった完全燃焼もいいところだよ、そのくらい努力した人というのは、もはや自分にも周囲にも憧れも不満もなくなるものです。

これが良い意味での開き直りで、諦めです。

ですが、この気分を味わった時、意外にも人はその先の可能性を自分に見出せることもあります。

要するに、これが成長ということでしょうが、人は生涯成長し続けます。

自分次第で。

考え方を変えてみる、これもすぐには出来ないもので、努力の賜物です。

考え方に変化を付ける初歩的な方法は、まずは「自己暗示」でしょう。

羨ましいと”人”に思うことがあれば、「でも、私は私で良いと思うの」と心の中で何度も唱えてみてください。妬ましいと思う”人”がいても、「私は私でいいじゃない」と言い聞かせあげてください。

私は私で素敵なはず

周りに認めてもらう必要などありません。

周りの意見など、人によっても、状況によっても変わります。

そんな不安定で頼りないものに、自分の価値という大切なものを預けないであげてください。

あなたは大切なもの、例えばお金などを信用のない銀行に預けますか。

少なくとも私は絶対に預けません。

周りからの意見など、自分に都合のいいものだけ聞いていればいい。

あなたが良いと思えば、あなたはそれで最高なのです。

それに、結局、周りがどれだけあなたを認めていても、あなた自身があなたを認めて受け入れてあげられていなければ、意味はないのです。

だったら、周囲に認めてもらうというまどろっこしい過程などはすっ飛ばして、最初から自分が自分を認めてあげて、自分に価値をあげてください。

しかし、すると不思議なんですが、自然と周囲もあなたを価値ある存在として認めることが増えてくるものです。

堂々としていること。

周囲などを気にせず、堂々としている人というは素敵じゃないですか。

皆が憧れるじゃないですか。

あの人、別に何もないはずなんだけど、妙に堂々としてていいんだよね。

聞いたことないですか。

根拠なんかいりません。

自分が自分を信じてあげているだけで十分なんです。

考え方を変えて、自分を信じて価値をあげるだけで、あなたも皆が憧れる堂々とした素敵な人になれる。

威張り散らせとか、好き勝手していいということではもちろんないですよ。

堂々としている人、自分に自信がある人というのは、それまでにたくさん努力してきた人、成功より失敗をたくさんしてきた人、その度に這い上がって、なお努力してきた人。

挫折や失敗の度に、弱くなろうとする自分を奮い立たせようと必死に自分で自分を鼓舞してきた人だと思うのです。

私ならやれる、私なら出来る。

大丈夫、頑張ろう。

でも、どんなに頑張っても出来ない時はあるし、出来ないこともある。

よく頑張ったね、私お疲れ様。

すっごい頑張った私、それで十分素敵じゃない。

何だか一皮向けた気がするし、なんて。

その時は、自分を全力で認めて褒めちぎってあげてください。

全部全部、全部あなた自身次第です。

自分は自分でコントロールするものだということを忘れないでください。

うまく自分を乗りこなすみたいな感覚です。笑

だから、重要なのは、周囲ではなく自分自身なのです。

*¹ とんでもないこと。常軌をはずれたこと。思ってもみないこと。(出典:広辞苑)

*² 企業活動に伴うさまざまな危険を最小限に抑える管理運営方法。RM。(出典:広辞苑)

*³ 物事がさらに高次の状態へと一段と高められること。など。(出典:広辞苑)

結論

脳みそという優秀な器官は、意外と騙されやすくて従順なので、「自己暗示」という形でなだめすかしてあげればいいんです。笑

アミノ酸の配列からなるたんぱく質のかたまり、そして、そのたんぱく質の特に神経細胞のかたまりが脳みそ、そこを出入りする信号によって人間は動いているだけなんです。笑

ロマンの欠片もないですが、そう考えると思い悩む必要ないんじゃないかって。爆笑

ご意見、ご要望、コメント、何でも頂けると幸いです。当然、私自身がまだまだ未熟者ですので、意見交換やご教示を頂けましたら嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

次回投稿は「結婚」について書いてみようと思っています。

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