私の「結婚」観

  1. 私の「結婚」について
  2. 理想と現実
  3. 決意の仕方
  4. 結婚観
  5. あとがき

私の「結婚」について

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入籍から約1年半。

入籍は昨年2月半ばなので、前回の記事である「人生観」についての投稿の後になるのですが、入籍を決めたのも前回記事投稿後、なんですよ。笑

前回記事の最後に、次回は「結婚」について、などと書いているのですが、実際に自分に結婚というものが訪れるとは微塵も思っていない状況でした。

何の因果なのか、怖い偶然。笑

お相手の方の転職を期に、お互いで急に入籍を決意し、1週間後に私の親へ揃って報告の挨拶へ、さらに数日後お相手の方のご両親へ同じくご報告のご挨拶に伺わせていただき、その当日午後に両家顔合わせ、そして、数日後に入籍という運びでした。

結婚を二人で決めてから、実に2週間後の入籍でした。

それも、お相手はその当時お別れして半年は経っていた方でしたので、両家はもちろん、当事者の私たちも驚いたほどのことでした。

さらに、結婚と同時に日本の半分以上向こうの遠い県外への移住も、です。

ですので、入籍にともなうやり取りや手続き、引越し準備とを変わらず仕事を行いながらの1ヶ月で済ませた結婚と移住でした。

本当にもう、目まぐるしいタイトスケジュールでした。笑

理想と現実

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なので、当然結婚式も婚約指輪も、なーんにもありません。

急な結婚の決意に、お互いにまさかそんな大イベントがあるとは微塵も想定しておらず、もちろん貯金もなく休みもないためささやかな新婚旅行さえもなし。

結婚指輪を辛うじて、入籍後、移住先への引越しが落ち着いた頃に、やっと買いに行けたようなものでした。

確かに、最近の結婚というのは、意外と皆さん簡略的にされる方も多いと存じていますが、私はそれなりに夢と理想を持っていたので現実のギャップは悲しかったです。

いやいや、結婚を2人で決めた時から分かっていたことではあります。

それでもいいと思ったから、結婚を決意したのですし。

ですが、やはりどうしても、理想は理想だなと、痛感する人生の一大事でした。

思い描いていました。

予定調和でいい、きちんと計画されたロマンチックなプロポーズ、とか。

事前に2人で選んで注文していた婚約指輪を彼が受け取りに行ってくれていて、ベタに夜景の見える高級レストランで108本の赤いバラの花束と一緒に「結婚してください」と言ってもらう、とか。

吉日を選んで、2人一緒に役所へ結婚届を提出に行く、とか。

色打掛じゃなく白無垢で臨む、家族だけでの神前式と、細やかな食事会、とか。

落ち着いたら、彼と二人だけでウエディングフォトをたくさん撮る、とか。

ウエディングドレス、カクテルドレスも2着くらい、とか。

砂浜とかのリゾートチックじゃなくて、歴史的建造物を背景にしたレトロチックにしたい、とか。

新婚旅行は贅沢に皆が憧れのモルディブに行きたい、とか。

とか、とか。

もうたくさん。

でも、現実には何一つ達成されることなく、達成させるよう準備する間もなく終わりました。

もちろん、だから後悔とか、そんなものは一切ないのですが、現実なんて所詮そんなものなんだと、分かっていたんですが、現実って本当に夢ないなーと、良くも悪くも彼と笑いました。

なので、今後、現在進行形、未来形にて、結婚の夢と目標を叶えていこうと彼と協力しています。

そもそも、彼の遠い地への転職も同時進行でしたので、お金がないないと、根本的に生活を維持させるよう努めるのに必死でしたので、現実が結婚についてどうのと悲しんだのはしばらく後のことですし。笑

貯金って難しいですよね。

カップル時代含め、夫婦揃って好奇心旺盛、欲深く貯金が苦手でして。笑

今の時代、結納はないわ、結婚式も大々的な披露宴もしないわ。

そういう風潮ですから、お祝いも集められないという夫婦も多いでしょうし、私たちの場合もお互いの両親のお祝いだけではかつかつ、とても厳しいものでした。

当然、貯金がない状況で、お金が掛かるものだと理解しながら、結婚と転職、移住という大それたものに挑んだのは彼と私ですので、文句など微塵もなく、一般的とされる額と比べると少なめではあったでしょうお祝いも、私たちにはありがたいもので仕方ありませんでした。

お祝いについて、今でもふと、あの時は本当に助かったよね~と彼と振り返ります。

さらに、彼はそれまで従事していた職種とは全く別の職業への転職だったため、その職種ゆえ、それまでの人生で経験したことがないという緊張、ちゃんとやれるのだろうかという不安、また、当然仕事に早く慣れたい、そしてステップアップしたいという焦り、そういうものが交々する中で、しかも知り合いもいない、足を踏み入れたことも初めての土地での新生活。

そもそも、未経験の結婚生活。

何より、私たちはその1年前に同棲を始め、半年で同棲を破綻させていました。

そんなんで、本当によく結婚とか移住とか決意したと、今でも自分の神経を疑います。笑

ですが、同棲を決意、同棲破綻、一緒にいるのは無理なんだろうと、一旦は別れを選んだものの、結局お互いに気持ちは不思議とそのまま変わらず、そんな中での彼の転職と移住の話。

結婚。

彼の方がどうかは正直知らないのですが、私はもう「ええい、いってまえ!」という心境でした。

話がそれました。

新天地での生活は、そもそものきっかけの転職の彼もそうですが、必然私も仕事を変えることになっており、お金がない状況でしたので、本当に早く就職先を見つけねばならないと、彼も私もストレスフル状態。

涙もたくさん流しましたし、お互いに自分のことでいっぱいいっぱいで衝突、喧嘩もありました。

彼のやらかしが発覚したり。怒

でも、もちろん知らない土地ゆえにワクワク楽しいこともありました。

元々、ご飯が美味しいと有名な土地からの移住でしたので、ここの飯はどんなもんだと、食事が大好きな彼と私とで、ネットを見漁り週末の度に出掛けて行ったり、気候が良くなった頃にはお家近辺をマップで検索、夜のお散歩に行ってみたり。

お家近辺で美味しいご飯屋さんみ見つけないとね、って。

少し歩いたところに大きな公園があったので行ってみようと、子どもの頃から住んでいた場所では絶対試みなかっただろう、もう小学生ぶりくらいにブランコに乗って立ち漕ぎし恐怖を味わったり、ネット遊具で普段使わない筋肉を使い翌日あり得ないほどの筋肉痛になったり。

あ、夜の公園で、ですよ?笑

そんなふうに彼と2人、辛いこと悲しいことも必死に、でも、楽しいことやりたいこともちゃんと。

思い描いた理想の結婚の構図とはほど遠いものでしたが、理想に全く適わない現実の結婚生活も、まだ1年目ですが、最初はどうなることかと思ったのですが、なんだかんだ「アリ!」と思えるものになりました。

ただ、この結果は一重に、彼と私の思いやり合い、歩み寄り合いの結果です。

恋人関係にしろ、夫婦関係にしろ、もはや友達、家族でさえ、人と人の関係というのは、結局お互いの努力により維持されるものなのです。

無理にならない範囲で、ですが、努力してまでこの人との関係を守りたい、そういう想いから人間関係というのは維持、良好であり続けるものなのだと思っています。

努力なしで良好に維持される人間関係などないと、私は思っています。

どんな時も、相手への尊敬と思いやりは持ち続けなければ、人間関係は破綻するのです。

理想通りでなくとも、心掛け次第で現実もまた別の理想に変えることが出来るものです。

決意の仕方

みなさんは、結婚はどのように決意するものだと思いますか。

正直、結婚て怖くないですか。笑

少なくとも、私にとっては怖いものでした。

私の両親は私が小学生高学年の頃に離婚、以降も養育費についての調停が私が20歳を迎えるまで続いていたり、その過程で離婚に至る経緯を耳にしたり、両親の夫婦時代の関係性などを偶然に見つけた母の日記で知ったりと、結婚というものに夢はおろか、嫌悪すら覚える経験があったからです。

また、私自身にも中学3年の高校受験頃からたくさんのことがあり、私自身のこと、人生について、絶望を感じ幸せな夢を望んだり考えたりすることができなくなった時期がありました。

それは、25歳になる頃まで、社会にまともに参加もしないほどのものでした。

それが25歳の頃のある出来事をきっかけに、私は社会復帰。

今旦那さんとなった彼とは、その出来事から約半年後に出会っています。

ある出来事が起こるまでは、私には未来はないと思っていました。

結婚などもってのほかです。

ですが、社会復帰後、それまでには夢物語でしかなかった楽しいこと、幸せなこと、何よりも普通なこと。

そういうものを感じ、享受できるようになると、夢や希望を覚えるようになりました。

夢や希望といっても、一般的なそれとはきっと違うと思います。

ここで私が言っている夢や希望というのは、ただ「生き続けよう」という意志を肯定できることです。

そうして、まともな感覚を取り戻してから、私と同世代の皆が抱く悩みを等しく抱くことが出来るようになり、時の流れとともに変わる私を取り巻く環境の中で、「結婚」というものが現実に迫り、深く、けれどあっけらかんに悩みました。

彼と結婚という話が出た時点では、彼と私は恋人関係にはありませんでした。

同棲破綻後から数ヶ月程度が経った頃で、友人でも恋人でもない曖昧な関係だったと思います。

今までの私ではありえない、ずるずると爛れた関係だったと思います。

でも、だからこそ、今までの他のお付き合いした方々とは違うと思うものでした。

変わらず彼に対する想いはありましたし、それは彼も同じでした。

ただ、少しお互いにたくさんのことを詰め込み過ぎて、一度休憩をしているような状態でした。

なので、彼の転職、遠方への移住という話は、彼にも私にも重いものでした。

お互いに無理だと判断して一旦距離を置いているというのに、また感情と勢いのままに結婚なんてしてしまって、うまくいくはずがない上に、見知らぬ遠方の土地で、彼も私も今のように逃げ場はないのです。

またうまくいかなくなったらどうするの。

そもそも、うまくいかないんじゃないか。

それまでのお付き合いの期間も、発狂しそうなほど色々なことがあったもので。笑

彼も私も、問題だらけの人間なのです。

それゆえに、理性は「やめとけ」「いったん落ち着け」「少し時間をおいてみろ」と言っていました。

ですが、感情は「この人と離れるのは無理」とだけ言うのです。

最初に相談したのは、母でした。

母は、私の理性と同じ判断で、やめろとは言わないものの、少し冷静になりなさい、と。

それから、何人かの友達や職場の人たちに相談をしました。

当然、私自身も考え抜きました。

結果は、私は私の感情に理性的な理由を付けて、感情を選びました

理性と感情を選んだ時の、メリットとデメリットを具体的にして比較したのです。

【理性を選んだ時】

メリット

・彼と関わることによる将来への不安がない

・結婚、移住先で起こるかもしれない悪い出来事を回避することができる

・新たに傷付いたり悲しい思いをすることがない

デメリット

・当然、しばらくは彼のことが頭から離れない

・彼のことばかり考えてしまって、そういう自分にイライラする

・完全に別れず遠距離をするにしても、彼が(色んな意味で)心配で多くが手に付かない

・そもそも遠距離恋愛は不向き

・彼への気持ちを選ばなかったことを後悔するかもしれない

【感情を選んだ時】

メリット

・想いを遂げられる

・結婚後、移住先で何かあって、それで彼に完全に愛想が尽けば、今度こそ後腐れなく別れられるので、それはそれでよし

・自分のやりたいことを全部やるということなので、何があっても後悔はない

つまりは、感情を選んだ先で起こることに後悔がない時点で、感情を選びこのまま突っ走ることに躊躇う必要がない、という結論に達したのです。

最悪、やっぱり無理、嫌となれば、離婚してしまえばいい、そう自分に言い聞かせたのです。

自分と自分の人生へのリスクヘッジのためどんなに悩もうと、今は彼と結婚して、彼と一緒にいたいという気持ちはどうにもならないもので、もしこの感情を無理やり抑え込んで、一生の後悔になるかもしれないくらいなら、このままバカみたいに突っ走って、想定した通りの辛い現実に直面して気持ちに踏ん切りが付く方がいいと思ったのです。

そうすれば、パッとスッキリ、次の自分の人生を歩み始められる。

どんな辛い現実が起こるかも分からない中で、安直かもしれませんがそう思ったのです。

子どもをもうけるつもりはありませんでしたし、母の離婚経験を目の当たりにしていたのもあり、また、私自身も色んな想いと経験をした中で、人生というのはなんだかんだ、自分次第でどうにでもなるし、思ったよりどうにかなっていくものだと知っていたからです。

もちろん、取返しのつかないこともあります。

子どもをもうけるつもりがないとはいえ、命というのは授かりものです。

ですが、自分が感情に従うと決めた以上、どんな取返しのつかないことにも後悔を抱かない。

結婚、夫婦関係になるというのは、恋人関係のように当人同士だけなく、お互いの家族を巻き込み、法的な関係になるものですので、そう安易な理由、自分の感情だけで動くものでないと考える人もいるかもしれません。

ですが、結局、大きな感情というは理性などでは止められないのです。笑

頭で分かっていても止められない。

これが行き過ぎたものが精神疾患となっているものもある。

それほど、人の感情、欲動というのは、御し難いものなのです。

命に関わると、ドクターストップが掛かっていることでさえ、理性で抑えられない人もいる。

それから考えれば、私のこの時の環境と理性では、感情を抑えられるはずもありません。

きちんと分かっていればいいのですよ。

自分が感情に敗北したこと、敗北したいがために、積極的に正当な理由を自己暗示していること。

それらをきちんと理解し、これから起こることへの責任をきっちり取る覚悟があれば、それでいい。

これは今ならではの結婚観かもしれませんが、離婚でバツが付くこと、子どもをもうけるつもりなく結婚すること。

当然、恋人関係の時のようなラフさをそのまま持ち込むのではありません。

「結婚」ですから、当然並々ならぬ覚悟とともに、その法的関係を結びます。

重たい関係だからこそ、そこに踏み切るまでに悩んだのですから。

良好な関係を維持できるよう、これまで以上にお互いに協力していくこと、恋人関係の時のように自分勝手が許されないこと、常に相手と一蓮托生、連帯責任になるということ。

常に相手がいて、自分がいるということ。

結婚、離婚、そういうものには、多くの人を巻き込んでいるということ。

感情のままに決意するのはいい。

ただ、その感情によって起こした出来事の責任はきちんと取らねばならないこと。

そういうものを念頭に置いた上で、あえて楽観的に考える。

正直、私が悩んだ結果思ったのは、悩んだところで仕方ない、というものでした。

この人と結婚して本当に大丈夫かな。

今は大丈夫でも、結婚してから変わるんじゃないかな。

2人の時は良かったのに、もし子どもが出来て関係が変わるんじゃないかな。

結婚してすぐ、やっぱり結婚するんじゃなかった、離婚したいってなったらどうしよう。

考え出したらキリがないんですよ。

どんなに完璧だと思う相手も、この人以外にいないという相手でも、結婚して変わる人は変わるし、結婚直後に離婚する時はする、未来のことなんか分からないのに、それについて考えてどうしようと悩んだところでどうしようもうないんですよ。

未来を完璧に操作して、一切の不安を消すなんてことは、結局どう足掻いても出来ないんですから。

だから、覚悟だけしておいて、後悔しない選択をすること。

後悔しないコツは、誰かに流されて物事を決めないことです。

仮にその場の雰囲気や自身の気の弱さ、知識のなさに負けてした決断であったとて、それもまた自分の責任であるのだと、いつどんな時、どういう物事においても、客観的に現実の自分の行動の責任は自分にあると理解しておくこと。

自分の身の回りで起こることの大よそが、全て自分の責任でもあると知っていれば、後悔はありません

もちろん、たまたま道を歩いてたら車が突っ込んできたとかは、自分に何の責任もありませんよ。笑

脱線しました。

要するに、悩んで悩んで、どんなに悩んだとて、ドツボにはまるだけで、解決方法はなく、いよいよ結婚なんて重たいものになど、きっと一生踏み切ることが出来ないなと思ったのです。

ですので、「よしもう、感情がどうしてもGOと言ってるから、後のことは全部責任持つしいってまえ!」と良い意味で開き直ることにしたのです。

私の結婚への決意の経緯は、こんなものでした。

他に相談した友人や職場の人たちの意見も、正直結婚とか深く考えたら出来ない、若い時の安直さとか、想いの勢いのままに突っ走るとかじゃなきゃ、結婚とか基本難しいから、その考え方でいいと思う、そんなものでした。

結婚です。

それだけでは済まされないこともあるかもしれませんが、本当に考え出したら際限ないんですよ。

母も娘である私に苦労して欲しくないとか、辛い思いをして欲しくないとか、そういった親心で一度は思い留まるように言いましたが、最終的な私の結論を伝えたところ、「まあ、それはそうよ。ただ心配だったからね」と、そして「私もあれから考えて、まあ思うようにするのが1番かなって思ってた」という結論でした。

時間のない中でしたので、私の悩んだ期間はほんの数日でしたが、かなり真理に近付けた方ではないかなと思っています。笑

正解不正解はありませんが、せっかくの1度きりの人生です。

私の最悪は、後悔することです。

理性はどうあれ、意に染まぬことはしない。

それが、誰かに迷惑を掛けたり、不幸にしたりすることでなければ、そのまま突き進んでみる。

突き進んだ先で何かありゃ、きっちりその責任を自分で取り、ツケを払えばいい。

何事においても、ノーリスクなことなんてないし、ノーリスクなことに魅力はないものです。

悩んだ最終的な私の答えは、この結婚と移住に幸せとワクワクをめい一杯享受することでした。

結婚観

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さて、ここに来てやっと本題ですね。

結婚て結局、どんな意味があるの?

結婚というものに、結局どんな価値があるの?

結論から言えば、意味や価値というのは人それぞれ、が答えになります。

ので、ここでは私の結婚の意味と価値についてつづりたいと思います。

まず、「結婚の意味」について。

結婚の意味について、私にはそれは「覚悟」です。

法的な契約、というのが一つ。

他に、当人たちの問題だけでは済まないということが一つ。

一昔前に比べれば、結婚というものの重さは比較的ライトになったのかなと思うのですが、反対に結婚へのハードルは高くなっているのではないかと思うのです。

一度結婚してしまえば、離婚なんて中々出来ない。

バツなんて恥ずかしい。シングルなんて恥ずかしい。

そういった通念が少し前までにはあったように思うのですが、近年においては離婚率の上昇や片親の増加、それらの一般化で結婚してもうまくいかなきゃ、離婚したっていいんだという結婚への楽観が多々見られるようになっています。

その最たる人間の一人が私です。

正直、この感覚がなければ、私の性質と経験から「結婚」という選択はありませんでした。

ですが、そんなふうに結婚の重さがライトになってきているというのであれば、結婚に覚悟というものは伴ってこないのではないか、ともいえます。

にもかかわらず、結婚率は下がるばかりなのはなぜか。

前述した通り、それは反して結婚へのハードルが上がっているからです。

ではなぜ、重さがライトになっているのに、ハードルが上がっているのか。

現代を生きている皆さんであれば、多少なりともお気づきかとも思いますが、多岐に渡る世情の変化により、結婚が必要でなくなっているからです。

・妊娠出産を望まない若者の増加

・妊娠出産をパートナー不要で望める倫理観の変化、可能にさせる医療の発達

・一人時間を充実させるツールの増加

・他者との不干渉、それを助長増大させる環境の変遷、パンデミック等の甚大な有事

・世情による周囲からの勧め、催促の減少

人と人との肌で感じる繋がりの希薄化、それを求めない世の中へのさらなる発展。

何事にもおいてもそうですが、物事というものには必ず良い面と悪い面が存在していて、そのどちらの面を見るのか使うのか、はたまたどちらの面も上手に利用するのか、それはその人次第です。

正直、結婚というものにこだわらずともよいのではないか、というのも世間で議論となっていることの一つで、これもまったくもってその通りです。

結婚というのはあくまで人間が社会を円滑に構築発展させていくために古来より採用してきたシステムであって、それ以上でもそれ以下でもない。

生物学的にいえば、特定の相手を終生のパートナーとして選ぶというのは、子孫繁栄という生物の根本的生存目的からすれば非効率極まりないことですから。

ですが、人間という生き物は高度に発達した文明社会の生き物ですから、三大欲求に直接作用する本能に忠実に生きるだけの他生物と等しく生きていてもいけません。

それでは社会が壊れます。

話を戻します。

結婚という形にこだわる必要があるのか、結婚という法的契約なぞなくとも、子どもを作ることは出来るし、健全で良好な関係を築くことは出来る。

それはその人次第。

結婚という慣習にこだわる傾向の強い日本へ一部の国、または別な主義の方面から以前より疑問は投げ掛けられていました。

そういう中で、この現代日本の結婚観は、徐々に高まっていく他者間の不干渉、間接的な人間関係の急激な増大により、超協調社会の日本においても個人と自由を主張しやすくなった結果だといえます。

それゆえに、結婚自体の重みは比較的ライトにも関わらず、結婚へのハードルは上がっているという矛盾した状況が起こっているのです。

結婚したとて状況によっては離婚してもいいんだという楽観と、法的な契約で家族友人知人を巻き込む個人だけの問題ではないという重責。

独身であっても体裁を保てる世情、内縁関係であっても許容される時代。

男女間は無論、それぞれ個人で異なる人生観と価値観からなる結婚観。

結婚観の矛盾。

ですが、私はそれゆえに、現代の結婚には価値や意味があると思いますし、夢と希望があるのではないかと感じています。

結婚を半ば強要される時代が過ぎ、結婚は人生において必ず起こる行事で、ステップだという固定観念が薄れつつある現代において、たくさんの選択肢を主義志向に合わせて選び取れる中、あえて「結婚」を選択する、出来るというのはこの上なく幸福なことだと思います。

もはや、現代の結婚の在り方こそが、本来の結婚の在るべき形ではないのか、とすら思うほどです。

ただ一緒に住み、子どもをもうけ、一緒に人生を歩んでいく。

法的にあれこれせずとも、その関係と事実を構築することは可能である中、わざわざ役所へ出向き届けを取って現代人が苦手とする手ずからの文字を記し、証人欄への記入を家族などの第三者へお願いし、また役所へ持ち込み受理を待たされる。

受理されてなお、名義変更などの公的諸手続きが役所だけでなく多方面にわんさか。

離婚なんてしようものなら、楽しくない中で逆の手続きをまたしなければならない。

どちらかが何かに巻き込まれたり、何かを引き起こせば一蓮托生。

絶対的に無関係ではいられない。

重た過ぎる。

現代人には重た過ぎるものだと思います。

以前の頃の日本人の持っていた感覚とは全く以て違う重みが現代の結婚にはある。

現代では求められない、絶対だと必要とされない覚悟を求められる。

ゆえに、現代の結婚は一層の「覚悟」の上に成り立つもの、現代の結婚にあえて意味を持たせるとするなら、それは私には「覚悟」だと思われるのです。

では、これらを加味した上で、結婚観とは何か。

「結婚の価値」とは何か。

結婚とはつまり、自身と相手の覚悟が合致して初めて交わされる関係の形態であり誓約であると私は思うのです。

おそらく、結婚という制度が確立した頃より、この結婚というものへの観念は概ね変わっていないのでしょうが、以前の頃はこれに義務のようなものがあったことを鑑みるに、現代の結婚ではこの「覚悟」が一層個人で明確に芽生えている必要がある。

そう思うと、私には結婚というものがとても価値あるものに感じるのです。

必要はない。

だからこそ、価値があるのです。

その必要がないにも関わらず、あえてその関係を選ぶのです。

ミニマリズム。

これは本来、芸術等の分野にて使われる言葉なのですが、近年ミニマリストという流行りの言葉が出来るほどに人生を必要最低限、省エネに生きようとする人が増えている中、結婚というある見地からすれば面倒でしかない関係と誓約を選択することは並々ならぬことだと私には思われます。

結婚というものは、もはやそれ自体がミニマリズムに反するもので、現代の若者の流行には決してそぐわないものです。

他人と親密な関係でいること。

これは夫婦に関わらず、知人友人恋人、上司部下同僚、ありとあらゆるコミュニティのどういった関係であれ、自身一人であれば決して発生することなかった出来事や沸き起こる感情、そういったもの等に良くも悪くも一人であれば振り回されることもない。

結局、現代の若者はそうして自分が乱されることを忌避する傾向にあります。

それは、以前の頃に比べると一人でも充実した時間、人生と出来るからです。

他者と密に関わるというのはとてつもなくしんどいものです。

それはなぜか。

人間という生き物が元来の社会的生物であるからに他なりません。

人間というのは、本能的根本的には誰かや何かと関りたい生き物なのです。

人と関わるのは大変なことです。

これは大多数の人たちが理解し頭を悩ませていることだと思います。

大変でしんどいなら辞めたらいい。

極力他者と関わらず、出来る限り一人で生きていけばいいのです。

でもそうはせず、人はどうしても誰かや何かを求める。

結局、人と関わることで得られる喜びや幸せ、これに勝る充足感に勝るものは決して一人では得られないからです。

社会的生物である人間にはどうしたって、他者と関わることによって得るもの以上の快感と幸福、人生の充足感はあり得ないのです。

ただし、これを得るまでにはとてつもないエネルギーを要する。

現代人にはこれが不足している人が多いのでしょう。

そして、必要最低限の人間関係のみ、基本的に一人で生きていくことを選択する人たちとて、心底では分かっているのです。

誰かと分かり合うこと、誰かと思いやり合うこと。

誰かと愛し合うこと。

自分とて、可能ならその喜びや幸せ、人生の充足感を得たいのだ、と。

けれど、そこに至るまでに艱難辛苦があるのなら、求めないでいいだけなのだ、と。

しかし、残念ながら、人間という生き物は、苦労や努力に上に成就したり得られたものにこそ、価値を見出し大切にし、人生においての大きな喜びや幸せと出来るのです。

そこに初めて、人生の充足感を得られるのです。

本当にしんどい、面倒なことなのですが、艱難辛苦を経験してこそ、高度に進化、発展した人間にとっての真骨頂といえる人生を手に入れられるものなのです。

壁にぶち当たること、失敗や挫折を経験すること、そういった積み重ねの上に幸福と人生の充足がある。

いいえ。

今ある全てのこと、ものの価値が分かり、それらへの感謝が芽生える。

そうして初めて、人生が豊かになっていく。

人生を豊かにする、その材料の一つに「結婚」があるのだと思います。

離婚し、結婚に失敗してもいいのです。

子ども一人抱え、世間に放り出されたようになって、絶望することもあるかもしれませんが、結局は考え方で捉え方なのです。

辛いことの先には必ず幸せがある。

禍福は糾える縄の如し」

この世の幸不幸は、より合わせた縄にように、常に入れ替わりながら変転する。

今辛いな、しんどい不幸の時期だな。

そう思ったなら同時に、じゃあ、これ乗り越えたら次は幸福のターンだ。

不幸の時に幸福を思うのです。

簡単なことではありません。

でも、思うのです。

自分に言い聞かせる。

自己暗示するのです。

人生観についての記事でも書きましたが、人間の脳というのは存外に安直で操作しやすいものなのですよ。

生き物は、思い込みの世界で生きていることを忘れないで下さい。

私もあなたも、いついつだって、自分自身の思い込みの世界でしか生きてない。

どんな善人でも、私が悪人だと思えば、その人は私にとっては悪人でしかない。

世の中なんて、そんなものです。

事実がどうかとか、周囲がどうかとか、そんなものは関係ない。

全ては、あなた自身がどう思うか。

ただそれだけなのです。

結婚も自分で選んだ。

離婚も自分で選んだ。

不本意な離婚だとしても、その相手を選んだのは紛れもなく自分自身。

であれば、諦めて責任取って、新たな人生のスタートの門出だとあっけらかんに溜め息をついて、「よし!」と気合を入れる。

たくさん傷付いてる。

たくさん悲しい、苦しい思いをしてる。

それも自分の紛れもないものですから、存分に泣いて存分に発狂してください。笑

そして、それを拒絶するこなく受け入れて、新たな自分の人生に胸を膨らませて。

結婚は円満に継続するも、悲惨に破綻するも、人生を確かに大きく彩るものであることには違いない。

そう思うと、結婚というのは、人生において測り知れない価値があるものということになります。

せっかく一度きりの人生です。

結婚が必要かそうじゃないか、リスクがどうだこうだ。

そんなつまらないこと、そんな考えても仕方ないことは、一旦忘れて、一旦頭の隅に置いておいて、後悔しない選択をすることだけ考えてみて下さい。

どんな形になろうと、結婚には必ず何らかの価値がある

私はそう信じています。

良い価値にするも、悪い価値にするも、全ては自分次第。

全て、自分自身の在り方次第なのです。

結婚とは、相手と自身の「覚悟」を測るもの。

ゆえに、

結婚とは、良くも悪くもあなたの人生を豊かにするもの。

結婚とは、それだけの価値あるもの。

もう一度言います。

一度きりの人生です。

せっかくなら、豊かで充実した人生にしたいじゃないですか。

全力で生きてるよ!これまでの人生に後悔なんてこれっぽちもないよ!!

やりたいことはぜーんぶやってる!!やり抜いてるよ!!!

そう胸張って豪語して、明け透けに笑える人生を送りたい。

少なくとも、私は常にそう思い日々を生きています。

もし結婚に迷っているのであれば、たくさんたくさん考えて、いっぱいいっぱい悩んで、その上で自分が後悔しない選択をしてください。

選択をしたら、何があっても責任を取りやり抜く覚悟をして臨んで下さい。

そうした先に、必ずその「結婚」に意味と価値が出来る。

それが、これが、私の結婚観です。

あとがき

結婚に価値があるとは言いましたが、だからとて、結婚はした方がいいだとか、必要だと思うわけではありません。その人それぞれのライフスタイルと望む人生があります。私にした方がいい、しない方がいいという意見はありません。

ただ、あなたが後悔しない人生選択することを祈ります。

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